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第五話 奪われた日常、交差する運命①

last update Last Updated: 2025-05-24 17:22:50

【二〇二五年 杏】

 私は墓地へと足を運んでいた。

 ここは田舎町の霊園墓地。

 小高い山の中腹に広がるその場所は、静寂に包まれ、どこか懐かしい気配をまとっている。

 最寄り駅から遠く、バスに揺られて一時間。

 そこからさらに三十分ほど歩かなければならない。

 途中には急勾配の山道が続く。

 最初は舗装された道を歩くものの、途中からは石畳の階段が延々と続いている。

 七月の陽射しは容赦なく降り注ぎ、肌を焼く。

 額ににじんだ汗が、やがて顎を伝い滴り落ちた。

 ただでさえ暑く、汗ばむ季節。

 こんなに運動すれば、当然か。と苦笑しながら手の甲で汗を拭う。

 ふと、ある人物の顔が脳裏をよぎった。

 初夏のあの日――

 告白されたのも、ちょうどこんな暑い日だった。

「はぁ……」

 思わずため息が漏れる。

 どうして今になって、こんなにも鮮明に思い出してしまうんだろう。

 いや、わかっている。

 昨日、彼に会ってしまったからだ。

 会社で起きた事件。

 捜査のために刑事がやってきた。

 その刑事が、修司だった。

 十年ぶりの再会。

 驚いていたのは、彼も同じだった。

 動揺を隠しながら、それでも自然に話しかけてこようとする修司。

 連絡先を聞かれそうな雰囲気になり、私はとっさに「忙しいから」と言い訳をして、その場を離れた。

 だって、困る。

 せっかく最近は思い出すことも減ってきていたというのに……。

 これ以上、かき乱されたくなかった。

 道端に咲く草花に視線を落としながら、ゆっくりと歩を進める。

 緑に囲まれたこの場所は、どこか心を落ち着かせてくれる。

 墓地がこんなふうに自然の中にあるのは、悪くない。

 故人も、訪れる者も、静かに癒されていくような気がした。

 やがて、視界が開ける。

 目の前には整然と並ぶ墓石の群れ。

 まるで、大自然の中、ここだけが違う場所のように感じられた。

 私はその中のひとつへと歩み寄る。

 母と、そして父の墓。

 父が亡くなって、もう八年になる。

 立ち止まり、そっと墓石に触れた。

 持参した布で丁寧に拭き上げ、水をかけて清める。そして、用意してきた花を手向けた。

 線香に火を灯し、立ち上る煙を見つめながら、私は静かにしゃがみ込む。

「母さん、父さん……久しぶり。元気にしてた?」

 墓前に微笑みかける。

「最近忙しくて、なかなか来れなくてごめんね。

 昨日さ――ちょっと父さんのことを思い出す出来事があって……。

 それで、会いに来たんだ」

 修司の顔が脳裏に浮かぶ。

「覚えてるかな?

 修司っていう、私の元彼……彼の家族のせいで、父さんは――」

 言葉が詰まる。胸の奥から怒りが込み上げてくる。

 俯き、拳を握りしめた。

「忘れたことなんて、一度もないよ」

 つぶやいた言葉が、私に突き刺さる。

 忘れられぬ傷が疼く。

 私は自分を戒めるように、固く目を閉じた。

「大丈夫だよ、父さん。私はもう――彼を好きになったりしない。

 だって彼は……父さんを苦しめ、私たち家族をどん底に追いやった人の、弟なんだから」

 好きになっちゃ、ダメだよね。

 私たち家族の幸せは、あの時、あっけなく崩れ去ってしまったのだから。

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Comments (1)
goodnovel comment avatar
憮然野郎
修司のお兄さんが杏の父親を死に追いやったのでしょうか!?... 真相が気になります……...️
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